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ボランティア教師に知って欲しいこと

    【目 次】

1 はじめに

2 「資格社会」「生涯学習社会」

3 学力が低い生徒の特徴

4 低学力と非行との関係

5 おわりに


1 はじめに

 私は職業として外国出身の子どもを教えるだけでなく、ボランティア団体に所属して、教えた経験もある。その経験から、ボランティアの人達の多くは、「学校の勉強ができるか、できないかということは、学校にいる間だけの問題だ。社会に出れば関係なくなる」と考えていることに気がついた。

 なぜなら多くのボランティア団体は、高校進学のための支援に力を入れているが、彼らが高校卒業後にどのように生きていくのかなどにはあまり関心がないようだ。とにかく高校に入学すれば何とかなる、小中学校時代の成績などは「リセット」されると考えているようだ。

 しかし、実際には決してそうではなく、勉強ができないということは、生涯にわたりハンディキャップを背負うものだ。今回は、このことについて論じてみる。


2 「資格社会」「生涯学習社会」

 なぜ生涯にわたりハンディキャップを背負うかと言えば、今の日本は「資格社会」「生涯学習社会」だからである。学習は、高校や大学等で終わるものではなく、職業に就いた後も続けなければならない。仕事に就いた後も、必要に応じていろいろな資格を取っていかなければならない。従って、学校の役割は単に知識を授けることではなく、生涯を通じて学習を続けるための基礎すなわち「生涯学習の基礎」を培うことだと言われている。


 例を挙げると、私事に関することだが、私の生命保険の担当者は、結婚・出産で仕事から離れていたが、子どもが小学校に上がったので保険の外交員になったそうである。最初は上司と一緒に訪問してきたが、最近は一人で来るようになった。「仕事に慣れたためか?」と聞くと、「最初の頃は何の『資格』もなかったので、客に金融商品を説明することが許されなかった。最近、会社の試験に合格したので、一人で訪問するのを許された」とのことだった。

 また、事務系の仕事だけでなく、例えば建築関係の仕事で、しかも現場関係の仕事に限っても非常に多くの資格が存在する。「建築資格.com」というウエブサイトによれば、「足場の組み立て等作業主任者」「コンクリート技士」など数えると102もの資格が存在する。

 もちろん資格がなくても働けるだろうが、資格の有無によって雇用形態や報酬、生涯労働期間なども変わってくるのではないか。

 このような意味で、学校の勉強ができないことは生涯にわたりハンディキャップを背負うことになると私は考える。


3 学力が低い生徒の特徴

 では、「勉強ができる」子どもに育てるにはどうすれば良いか。これを「逆説的に」考えてみる。学力の低い高校生の特徴を挙げて、逆に学力を培うためには、このような指導が必要だと考えてみたい。

 当サイトの「経歴・資格等」のページにあるとおり、私は定年まで千葉県内の公立高校に勤めていた。偏差値で言えば60以上の高校から「底辺校」や「教育困難校」と言われる高校までいろいろなタイプの高校を経験した。その中で、学力の低い生徒には、次のような特徴があることに気がついた。逆に言えば、学力を培うには「次のようなことができる」ようにしなければならない。

(1) 教材などを整理して保管することができない

 いわゆる底辺校では、生徒の机の中が非常に汚い。彼らは授業で渡される教材のプリントや学校の配布物等をただ机の中に突っ込んでおく。ファイルに綴じたり、ノートに貼り付けたりして保管することをしないので、机の中が乱雑で非常に汚い。机の中が一杯になると考えずに捨てていく。従って、授業や試験前など必要な時に取り出すことができない。既に捨ててしまったのか、まだ机の中にあって探せば見つかるものなのかさえ分からない。

 さらに、これは生徒達だけでなく、保護者も同様の傾向が見られる。経済的に困窮していれば、授業料減免申請などができるが、学校から渡された書類や行政機関が発行した証明書等を失くしてしまうことがある。そのために申請ができなかったり、申請が遅れたりすることがあった。

 この経験から、千葉市日本語指導通級教室では、通級開始時に教材を綴じるファイルを用意するように指導していた。

(2) 「逆算」ができない。

 いわゆる底辺校では、生徒の遅刻が多い。これは規則正しい生活をしていないことが原因であるが、その他の原因として「逆算」して考える習慣が身についていないこともある。例えば、学校が8時30分に始まるとすると、何時までに学校の最寄り駅に到着しなければならないか、そのためには自宅を何時に出なければならないかなどと時間を「逆算」して考える習慣がない。

 「逆算」して考える習慣が身についていない原因のひとつは、小学校の算数で習得すべき「計算力」が身についていないからだと私は考える。

 例えば、次の通学経路の場合は、通学時間が1時間5分となる。

 自宅→(徒歩10分)→最寄り駅→(電車20分)→乗換5分→電車15分→最寄駅→(徒歩15分)→学校:合計65分

 計算力が弱いと、このような徒歩と電車の所要時分を暗算で計算するのが苦手である。さらに、「65分=1時間5分」という「単位の変換」も苦手である。筆算で計算すればできるが、面倒なのでやらない。従って、彼らは「適当な時刻」に家を出る。

 毎日通う学校ならば、生徒達も失敗(遅刻)を繰り返すうちに、何時に自宅を出なければ  ならないかを経験的に学ぶことができる。しかし、校外学習や修学旅行など学校以外の場所に集合する場合は、集合時刻を指示するだけでは遅刻者が続出する。そこで、次のような指導をした。

 用紙を配付して、生徒一人一人に自宅から集合場所までの経路と所要時分とを記入させる。次にその所要時分の合計を計算して、記入させる。最後に、学級担任がそれをチェックする。

 このように、通常の学力の高校生ならば、「頭の中で計画を立てて、所要時分を『暗算』で計算する」ことができるが、学力の低い生徒は「計画を紙に書き出して、『筆算』で計算する」必要がある。これも、小学校時代の計算力の低さが影響している。


 「逆算」について、もうひとつ記憶に残ることがある。千葉市日本語指導通級教室で指導していた外国出身の生徒のことである。

 この生徒の親が、夏季休業中に出身国に一時帰国することになった。帰国前に親はその間の生活費を渡したが、その生徒はすぐにその大部分を使って高額なメロンを買ってしまった。そのため、約1か月間食うや食わずの生活する羽目に陥った。

 本人に「夏季休業中なので学校の給食もないのに、なぜ高いメロンを買ったのか」と聞いたところ、「前から高いメロンが食べたかった」と答えた。

 この例も、手元の金額と残りの日数とを照らし合わせて、1日どのくらいの金額で生活しなければならないのかと、「逆算」しなかったためだと思われる。


 以上のような「教材・資料・書類等を整理して保管する」「時間や金銭について、簡単な計算をして見通しを立てる」ことができないまま、大人になったらどんな生活を送るだろうか。行き当たりばったりの「その日暮らし」の生活になるのではないか。


4 「低学力」と非行との関係

 さらに、「その日暮らし」ならまだ良いが、勉強ができないことが非行や犯罪につながる可能性がある。

 児童精神科医で、少年院で多くの非行少年と出会った宮口幸治氏は、画像の著書「ケーキの切れない非行少年たち」(2019年、新潮社)で、「『凶暴で手に負えない少年』の真実/計算できず、漢字も読めない/そもそも反省ができず、葛藤すらもてない/計画が立てられない、見通しがもてない」などと述べている。「非行少年は認知認識力が正

常に発達していない」というのが、宮口氏の主な主張だと思われる。そして、同氏によれば、その兆候は小学2年生くらいから見え始めるようになると言う。「勉強についていけない、遅刻が多い、宿題をしてこない、(以下略)」(p.94)

 紙数の関係でここでは詳しく紹介できないが、同氏は「学習の土台となる認知機能」(p.160)を強化するトレーニングを紹介している。そして子どもが勉強できない原因に、学校の先生や周囲の人達が早く気づいて、適切な支援につなげていく大切さを説いている。


5 おわりに

 以上述べてきたように、「勉強ができるかどうか」は決して学校に在学している間だけの問題ではなく、子どもの一生に影響を与えることである。ボランティア教師の人達にも、この点を認識してもらい、宮口氏の言う「学習の土台となる認知機能」等にも着目しながら指導していただきたい。

 特に外国出身の子どもは、日本で生まれ育った子どもよりも、「知的基盤の発達」「学習の土台となる認知機能の発達」にハンディキャップを背負う可能性がある。学習を支援する時には、教科学習のでき具合だけでなく、「生涯学習の基礎」や「学習の土台となる認知機能」などの点にも着目していただきたい。

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